今、鹿島は分水嶺にいる
忘れられない風景のひとつに分水嶺がある。自分が行ったのは兵庫の山奥のとある場所で、最初はまったく期待してなかった。山から流れて来た水がふたつに分かれて、ひとつが太平洋に、ひとつが日本海に流れて行くだけの場所だと思っていた。
実際、駐車場がぽつんとあるだけで、ホントにここなの?というようなところで、屋台やおみやげ屋もなく普通の川だった。言われなければわからないだろう。
だけど、しばらくそこを見ていると不思議な気持ちになった。上流から流れて来た水が、直径5メートルくらいの、池というにはあまりに小さい水溜まりでぐるぐるとうねり、右に行こうか左に行こうか迷ったうえで、どちらかに流れて行くのである。
ふたつの道の到達点は、とても離れている。スタートが一緒だったと思えないほど真逆だ。上流から流れて来た落ち葉が右に行き、またある1枚は左に行き、というのをぼんやりと眺めていると、「ここが分水嶺」と比喩に使われる意味がよくわかった。
そういう目で見れば、なんということのない5メートル程度の池ともいえない水溜まりが神々しいものにも思え、今にも女神様が出てきて、
「そなたの落としたのはこの黄金に輝く、当たりの万馬券か? それともBOX買いしたくせに、全然ダメダメなこの外れ馬券か?」
とでも聞いてきそうである。
「あ、いや、あっしの落とした馬券は勿論・・」
・・どう答えるかはナイショ。
まあ、それはさておき、今、鹿島は間違いなく分水嶺にいる。5メートルの水溜まりで、ぐるぐるとどっちに行こうかゆらめいている。
水曜のセレッソ戦。勝てば6位浮上、優勝を狙えなくもない位置につけられる。負ければセレッソに抜かれて再びふたケタ順位。
進むべき道はわかっている。そちらに行けるかどうかは気持ち次第。正念場だ。